第2回の前世リーディングは、場所を日本に移して行いました。鎌倉幕府を開いたとして知られる源頼朝と北条政子、この2人の前世についてご紹介しましょう。

第2回 源頼朝と北条政子

前世リーディング

源頼朝は、父、義朝に従って平治の乱に出陣し、破れて中伊豆へ流されました。配流の身で何もすることのなかった頼朝は、地侍の娘を愛妾として自宅に住まわせたり、監視役である伊東祐親の三女、八重姫と通じて伊東の不興を買ったりしていました。源氏の御曹司という血統書と、洗練された雰囲気を持つ頼朝が伊豆の山の中で相当にもてたことは想像に難くありません。

そして、ついに頼朝は熱海の伊豆山神社に参詣に行った帰り、橋のたもとで北条政子と出会うのです。この時頼朝31歳、政子21歳でした。イメージ的には政子の方が年上のように感じますが、実は頼朝の方が10歳も年上でした。頼朝はマメに政子に恋文を書き、ついには逢瀬を重ねるようになるのです。

そのことは父である時政の耳にも入り、時政は、平家の出先役人である山木兼隆との婚義を急いで進めるのですが、なんと政子は、婚礼の前夜、頼朝のもとへ逃げてしまいます。こうして既成事実がつくられ、時政も政子と頼朝の仲を認めざるを得なくなりました。これによって平家との対立はもはや後戻りの効かぬものとなり、ついには平家討伐の令似のもと、頼朝は北条氏をバックに伊豆で挙兵し、勝利の末に鎌倉幕府を開くことになるのです。つまり、この恋なくしては、頼朝が北条氏を後ろ盾にすることもなく、鎌倉幕府を開くに至ったかどうかわかりません。鎌倉幕府をひらくことができたのは、まさに政子のお陰で成し得た偉業といえるでしょう。その後も政子は頼朝のもとで政治の手腕をふるい、頼朝の死後は尼将軍と呼ばれるまでになったことは皆さんもご存じの通りです。頼朝は幕府をひらいてのちも、プレイボーイぶりは収まらず、政子の逆鱗に触れることもしばしばでした。2人はことあるごとに夫婦喧嘩を繰り広げたことでも知られていますが、3人の子も成しており、決して夫婦仲は悪くなかったのでしょう。

以前から、頼朝と政子には、何かあると思っておりましたが、今回この2人をリーディングすることになりまして、やっとその謎が解けました。なんとこの2人は前世では親子の関係だったのです。

時は飛鳥時代、中大兄皇子の頃まで遡ります。頼朝は悲劇の皇子として知られる大友皇子の生まれ変わりでした。そして政子は、天智天皇の寵愛を受け、大友皇子を生んだ母親の伊賀采女宅子娘(いがのうぬめのかやつこ)だったのです。政子が、頼朝に天下を取らせるべく尽力した理由はここにありました。と申しますのも、大友皇子は、言ってみれば母親の身分が低かったために天智天皇の弟、大海人皇子(のちの天武天皇)に討たれ縊死してしまうのです。父親の天智天皇から後継者として指名されながら、自分の出自が卑しかったがために、天智天皇の弟、大海人皇子に皇位を奪われ、死に至らしめられた大友皇子のことを考えると、きっと采女宅子娘は胸をかきむしられるような思いに駆られたことでしょう。そして、理不尽な死を押しつけられた大友皇子もまた、口惜しい思いを抱えながら死んでいったに違いありません。そんな2人の無念の思いが平家の命運も尽きかけた500年後の世に再び出会うことになったのです。

夫婦という形にはなったものの、采女宅子娘の生まれ変わりである政子の成すべきことはただひとつ、大友皇子の生まれ変わりである頼朝を天下人とすることだったのです。恐らく2人の出会いも因縁の成せる業だったのでしょう。霊視をおこないました私自身も予想もしない結果となりまして、大変驚いております。因縁かく凄まじきもの、との思いを深めた次第でございます。

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