メジャーからマイナーまで、全国各地で愛される福の神

神の国日本には、日本武尊や天照大御神をはじめとし、古来より崇拝されている神々が数多く存在します。神様の中には、全国的な認知は低いものの特定の地域に熱烈に愛され、崇められている福の神もいるのです。そんな地域に根付く神様から有名な福の神を4柱紹介します。

地域で愛される神様の存在

日本全国津々浦々、その土地の文化や風習があるように限られた地域のみで知られている神様がいます。福の神の由来やどんなご利益をもたらすのかを紹介します。

福助さん

福助さんとは?

ご当地福の神の中で最もメジャーといっても過言ではない「福助さん」。招福の神として有名で、飲食店やオフィスなどで一度は見たことがあるのではないでしょうか。特徴は大きな頭とちょんと乗っかる小さなまげ、そしていかにも幸運を招きそうな分厚い福耳。裃をつけて座布団の上で正座をしています。福助さんのモデルは叶福助という実在した人物で、江戸時代後期に肥前国平戸藩第9代藩主の松浦清の随筆集「甲子夜話」にも登場しているのです。

福助さんの歴史と由来

福助さんの由来は数多くあり、どこの地域の福の神か断定できません。諸説ある中でも有名な説を3つ紹介します。

【説① 京都/大文字屋の彦太郎】

八代将軍徳川吉宗の時代、伏見の百姓下村三郎兵衛のもとに誕生した彦太郎。背が低く、大きな頭に垂れた耳たぶが特徴的でした。大人になり働いた伏見京町の大文字屋で出世し、妻の実家の名古屋で始めた商売も大繁盛します。この華麗なる出世話を知った伏見の人形師が、彦右衛門をモデルとして人形を作ったと言われています。

【説② 伊吹/もぐさや亀屋の福助】

滋賀の伊吹山付近にある宿場「亀屋」の番頭、福助。普段から裃を着て身なりを整え、どんなときも誠心誠意でお客様を迎える真面目な性格でした。福助の対応が評価され亀屋は繁盛したと伝えられています。

【説③ 摂州/百姓の息子佐太郎】

佐五右衛門という百姓の息子佐太郎。頭が大きく背が低いため容姿をからかわれました。不憫に思い小田原へ引越し、福助と名乗って小田原宿で見世物をしたところ話題を集めます。その後、佐太郎を気に入った旗本が彼を買うと、旗本には幸運が舞い込んだそうです。

福助さんのご利益

福助さんの苗字である叶はその名の通り、「願いがかなう」から命名。福助さん人形は商売繁盛、開運、願いが叶うご利益があるとされています。

シーサー

誰もが知る沖縄県の守り神シーサー。お店や自宅など沖縄では当たり前のように鎮座していますよね。実はライオンや犬という説もあるようです。

シーサーとは?

シーサーは古くから沖縄に伝わる魔除けの神。沖縄の方言で獅子を表しており他にもシーシーやシィーシィーとも呼ばれます。狛犬やライオンと間違える人もいますが、伝説の獣像なのです。なお、現存最古のシーサーは八重瀬町に鎮座していて、沖縄県指定有形文化財に指定されています。

シーサーの歴史

源流は古代オリエントのライオンで、3〜15世紀頃に中国から琉球王国へ伝来。伝来した当時は、シーサーは王宮の守護神で庶民は祀れませんでした。しかし、ある年村落で災害が多発します。災害を鎮めるために、初めて王宮以外の場所に獅子の像を設置したのです。その災害がきっかけとなり徐々に庶民へ広まったと言われています。

シーサーのご利益

疫病や災いを祓う魔除けと運を招く福の神として、民家の門や屋根の上に置かれ崇められています。なお、シーサーにはオスとメスがいます。口を開けているほうがオスで、口を閉ざしているほうがメス。祀るときは対が基本です。対にする理由は、オスが陽の気を持っておりメスが陰の気を持っているため、陽と陰の間に結界ができる。という説や、オスが幸福を吸い込みメスがその幸福を逃さない役割がある。とも伝えられているようです。

ビリケンさん

見ているほうも笑顔になるような明るい笑顔のビリケンさん。笑いの地大阪ならではの福の神ですが、ルーツは意外にもアメリカにあったのです。

ビリケンさんとは?

全国的にも有名ですが、特に関西を中心とした西日本地域で愛される福の神「ビリケンさん」。とがった頭につり目でにんまりとほほえむ顔、足を投げ出して座る無邪気な姿が印象的です。幸福をもたらすビリケンさんは大阪府民だけでなく、他の地域の人たちからも愛されるマスコット的存在。通天閣の展望台にある木像のビリケンさんを一目見ようと多くの観光客でにぎわいます。

ビリケンさんの歴史と由来

ビリケンさんのルーツは意外にもアメリカにあります。1908年にアメリカの芸術家であるフローレンス・プリッツが残した作品で、希望と幸福の象徴の願いが込められています。全世界にビリケン像が広がり、1909年頃大阪へやってきます。当初、ビリケンさんは大阪の新世界の遊園地に置かれていましたが行方不明に。通天閣を建設する際にビリケン像を復活させて今に至ります。

ビリケンさんのご利益

ビリケンさんが祀られている台座には「THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE」と記されています。直訳は「あるがまま」。人により解釈が異なるものの、あるがままに生きられるように願いを叶えてくれる意味では、オールマイティな福の神と考えられます。お祈りの際は、足の裏を掻くと願いが叶うと言われています。

仙台四郎

宮城県を中心に東北の地域ではメジャーな商売繁盛の福の神「仙台四郎」。仙台のあらゆるお店に仙台四郎のグッズが置かれており、地域の人の愛が伺えます。仙台四郎安置の寺「三瀧山不動院」では、お守りが数多く並べられています。

仙台四郎とは?

仙台四郎のモデルは実在した人物で、江戸末期から明治にかけて宮城県仙台市にいたと言われています。仙台四郎の特徴は、穏やかな笑顔とイチモツが着物からはみ出ている愛くるしい姿。仙台四郎が立ち寄った店は大繁盛するという噂が地域全体に広まり、店の人たちは積極的に店に招いたそうです。

仙台四郎の歴史と由来

1854年頃仙台藩に仕える鉄砲鍛冶屋の四男として生まれた仙台四郎。次男と三男が幼少期に亡くなったため、両親が「男の子だと亡くなる」と四郎の身を案じて女児用の着物を着せて育てました。商店街では「しろばか」と呼び見下していましたが、四郎が立ち寄る店が流行り出すと、周囲の態度が一変。もてはやすようになります。明治時代には福島で撮影された仙台四郎の写真が販売されるほど根強い人気があったようです。

仙台四郎のご利益

商売繁盛のご利益があります。他にも仙台四郎にだっこされた子供が健康に育ったことから無病息災や、家内安全、開運招福にも効果があります。

地域に愛される福の神

宮城県を中心に東北の地域ではメジャーな商売繁盛の福の神「仙台四郎」。仙台のあらゆるお店に仙台四郎のグッズが置かれており、地域の人の愛が伺えます。仙台四郎安置の寺「三瀧山不動院」では、お守りが数多く並べられています。

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